hplusionのブログ

chunithmとイロドリミドリの話をします

モチベと初投稿と

思うままに書いてみる。

コンシューマー版は触れていたものの、まともにゲーセンで音ゲーをやるようになったのは大学1年の時。当時は有り余る時間をつぎ込みにつぎ込み、コナミと共に歩んでいた。
子供の頃から親しんでいたポップンをやり、カゴノトリに惚れて弐寺に移り、十段で伸び悩みリフレクに移行しまた弐寺に戻りと、対外的な大きな成果を残せないままに食い散らかしてきたように思う。

弐寺にのめり込んでいた時期は長かった。daoコンも買ったし、BMSもやっていた。卒業・就職に向けての勉強や仕事のノルマが無ければ、きっと今も弐寺をやっていたのだろう。やらないで間を空けた弐寺は悲惨なのだ。
典型的な乱打厨であった僕は、相関があるのかないのか乱打曲は譜面を抜きにしてももれなく好きだった。そんななか、盛大に刺さった曲がGengaozoだった。

ところで、弐寺をやりに行く傍らでぼんやりと見ていたゲームがあった。そのゲームはchunithmと呼ばれていた。デモムービーのキャラがやたら可愛いなとは思っていたが、排他的コナミ音ゲーマーであった僕は、わずかにプレイはしたものの、弐寺やリフレクをやるんだと言って見向きもしなかった。

閑話休題、2018年1月、chunithmにGengaozoが収録される。お葬式にはGengaozoを流してほしいとまで言っていた僕にとって、これは衝撃だった。やってみると目につくのは慣れ親しんだBMS曲の嵐。そしてかつて気になっていたキャラクター。

これがイロドリミドリとの出会いだった。もちろん最初はイロドリミドリ自体を詳しく知らなかったし、こうしたキャラクター曲はむしろ敬遠する側だった。しかしキャラは可愛い。
公式サイトを見てみるとストーリーがある。なんとなくで見始め、気付くと最後まで見終わっていた。まだプリズムが収録される前、試練の三送会編がお姉ちゃんの留年回避の話だと思われていた頃だった。かつての想い出は鮮烈な一撃となり蘇る。僕はstillですっかりイロドリミドリに心を持っていかれてしまったのだった。

気付くとゲーセンでは弐寺を中心に待ち時間でchunithmをやるようになっていた。もちろん弐寺がメインであり、中伝なんぞが取れてしまったせいで尚更モチベが高かった。chunithmはやってはいるものの、伸びが今一つでそこまでのモチベはなかった。ただただイロドリミドリの為に、もっと言えばstillのスコアを詰めるためにやっていた印象もある。

このタイミングでアクシデントが起こる。山のように仕事が降ってきたのだ。ゲーセンなんか行く余裕はない。いや、これでも頑張って行っていたのだが、30分とか1時間程度の時間を捻出してようやく行ったのに、激混みでプレイできないともなると次第に心は折れてくる。空いていたchunithmのプレイ回数が少しずつ増えるに従い、次第にスコアが伸びてくる。少し楽しいと思い始めた。

さて、仕事は永遠には続かない。ようやく暇になった僕に待っていたのは現実だった。☆11で難落ちする。☆12は簡単な曲でさえイージーがやっと。これはモチベーションを削ぎ落とすには十分すぎる破壊力があった。
一方のchunithmは目に見えて伸び始めた。stillにSSがつき、session high↑にSSがつき、stillのSSSが見える頃には金レも後半。幸運なことに白レ中盤までほぼ足踏みすることなく成長できたおかげで、chunithmは明確にメイン機種となった。

足踏みはあったが、イロドリミドリの新しい曲とストーリーがカンフル剤となり、気付けばレートは虹色になっていた。当初の目標は虹レとイロドリミドリ全AJだったため、重み付けはともかく目的の半分はある意味達成した。しかし、ここで気付いたのはイロドリミドリ全AJの余りの遠さと著しい伸び悩みの絶望感。このままではいけない。

そこでこのブログである。このブログはほんの僅かな日常と大量のイロドリミドリ・chunithmで構成する予定である。ソーシャルなゲームの話も少しするかもしれないが、あくまでも目的は音ゲーの話をしてモチベーションを維持することにある。
完全に自己満足な、ややもすると黒歴史と化すことが想像に難くないブログだが、なんとなく気がのっているうちは書いてみようかと思う。